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呑んべえふくろうケイの

大陸横断鉄道でカナダを走る!(4)



大陸横断鉄道の旅、4日目

朝5時に目が覚めます。窓を開けてみると相変わらず一面の林と湖。まったく景色が 変化していないのに驚きます。すでに、オンタリオ州に入っています。時計の針を1時間進めます。これが最後の調整。

遠くの地平線が赤く変化しています。夜明け間近。

突然複線区間になり、速度を弱め停車します。しばらくすると明るいヘッドライトが 見えてきて、反対列車が隣を駆け抜けます。バンクーバー行きの「カナディアン号」でした。

6時になりラジオをつけます。昨日までまったく入らなかったのがウソのように日本のNHK国際放送「ラジオ日本」の放送が強力に入ります。1995年上半期のヒット曲特集。どういうわけだか、カナダの森林を見ながら中島みゆきや坂本冬美を聞くことになってしまいます。それにしてもフェージングのため肝心の歌手の名前の所で聞こえなくなります。

お陰で沖縄とラテンの融合という変なグループの名前やNHKのコンテストか何かで優勝した歌手の名前はわかりませんでした。なんだか、倉橋ルイ子にそっくりの歌詞と声だったけど。さらに、結構古いタイプの音楽を聴かせていたグループの名前もスピックなのかスピッツなのかわからずじまいでした。(やっぱり日本を離れて生活してると、日本の音楽状況は全くわからなくなるものです。)でもね、カナダの自然と日本の音楽じゃぁムードが違います。これじゃいかん、と思いFMにすると、CBCでニューブルンズウィックの弦楽四重奏団の演奏をやっています。まぁまぁ良いか……。

再び眠りこんでしまいます。


気がついたら10時。身づくろいをしてドアを開けます。アンおばあちゃんは一生懸 命クロスワードをしています。「やっと起きてきたわね・・・」と笑って言われてしまいました。

空は透き通った青空。地図で現在位置の確認をしてみます。ケベック州との境に近いGOGOMA という場所のようです。スペリオル湖のずっと北を走っています。おもしろいのは地図の色がこのあたりは白色で描かれている点。いかにも冬の厳しさを感じさせます。

今回の旅で便利だったのは合衆国で出版されている「FMアトラス」。アメリカとカ ナダの州ごとの地図に主な街の名前とすべてのFM局の周波数が掲載されています。FM局が星の数だけあるカナダのこと。この地図のお陰で、ちょっとした街で停車しているときなんかはいろんな放送が聞けて大感謝でした。こちらの列車は基本的に電車ではないので、窓にラジオを近づけるとFM、短波ともよく入ります。ただしAMはノイズがひどいけど。

「ラジオ日本」はバンクーバーではサックビル中継の調子が悪いようでした。そのかわり東京からの直接波 9535kHz が朝、良く入りました。一方ギアナ中継の中南米向けは健在。中南米向けなのに北米で良好とは・・・このあたり、短波放送の不思議です。

ただ、バンクーバーのホテルでは全体に低調で「ラジオ日本」の他はほとんど入感 せず。鉄道の旅初日もそうでした。伝播障害だったのかも。今日になって強力に受信できるもんねぇ。


窓の外は相変わらず森と湖。植生も松や杉の針葉樹がほとんどのようでまったく変化 がありません。人口の数だけ湖がある・・・・思い知らされるなぁ。2千7百万あっても不思議はない。地図をみてもまるで虫食いだらけの古文書のようになっています。


午後2時。
遅めの昼食を終えました。本来なら朝食と昼食はいつ行ってもいいはずなのに、今日 はアンおばあちゃんと12時に行くと、「3回にわけて呼びますから、そのときに来て下さい」と断られてしまいました。おかしな話。昨日までは良かったのに。スタッフ変わればルールも変わるのかな…。 さてさて、いずれにしても、1時になってやっと食事にありつけました。とにかく窓からの景色は変わりません。湖と森。同席になったトロントのご夫婦によると、オンタリオ州だけで湖の数は25万に達するそうです。数えた人がいるんだぁ…。

今 CAPREOL という駅に着きました。1時間の遅れです。 スペリオル湖を大きくまわりこんで、その東側にやってきたことになります。ここで15分停車。ちょっと外にでて外気を味わってきました。


1991年までモントリオール〜バンクーバーを走っていた大陸横断「カナディアン 号」は採算がとれないということで一旦廃止されています。その後カナダの鉄道は国営(こちらではクラウン・コーボレーションと呼んでいる)となり、旅客部門はVIAとして営業を始めました。そして「カナディアン号」はモントリオール始発がトロントに変えられたものの復活しました。外見は50年代に導入されたオリジナルな形、アメリカのブッド社のアルミ製アールデコ調の車両をそのまま再現し(違いはえんじ色の帯が青くなったくらい)、中身を大幅に近代化したのです。ヨーロッパの寝台とは違って機能性を重視しており、味気ないという気もするかも知れないけれど、非常に清潔。

食堂で一緒になったご夫婦は20年前にカナディアン号に乗ったことがあるそうで、もう一度乗るというのが夢だったそうです。今年やっとその約束を果たしたというわけです。当時はサドベリーで切り離して一方がモントリオールに、他方がトロントに向かっていたそうです。

ところで、ウィニペグから交代したインドっぽい顔つきのアテンダントさんは結構神 経が太いみたいで、食事に行っている間にベッドをおろしてシーツの交換をしたみたいだけれど、その時にイスに置いてあったラジオに気づかなかったようです。帰ってみたらラジオの蓋にヒビが入ってしまってました。おそらく上に重たいベッドを乗っけたんだと思います。まぁ、まだ保証期間中だからいいか…。とりあえず使用には問題ないようです。

ちょっとこちらの気分も大らかになっているようです。

さてさて、あと旅は6時間ほどで終わりです。なんとアテンダントがディナーの予約を取りに来ました。てっきり今日はディナーがないかと思っていたのでびっくりです。うわぁ……太るなぁ。


午後6時半。
ディナーを終えて帰ってきました。あと数時間でトロント…列車の旅も終わり …と言いたいところですが、予定外の事が起きてしまいました。

アンおばあちゃんとテーブルについて、同席になったオーストラリア人夫妻と話していたら、妙なことに列車は反対方向に走り始めました。急に、アテンダントがアナウンス。「みなさんは実に素晴らしいお客さんです。少しでも長い時間お引き留めしたく、我々はもと来たルートを戻っています。実は……」この先で脱線事故があり、この先列車を運行できないのだそうです。とはいえ、かつ ての鉄道王国カナダのこと、いろんなルートが貨物線としてまだ残っています。そこで、これから列車はこのまま反対向きのままで100キロくらい戻り、それから別の貨物線とOntario Northland 線を経由してトロントに向かうというのです。そのため当初予定してた到着時刻午後9時を大幅に遅れ到着予定は午前3時になるということです。

瞬間、質問が殺到します。乗り換えは?ホテルは? etc.

ホテルについては違約金を払わされる場合も、鉄道事故と言えば対象外になるとのこ と。僕の場合は到着後ホテルに向かうということをアテンダントに言っておきました。

駅のすぐ隣がホテル(クラウン・プラザ)なのも助かります。隣のオーストラリア人夫妻は明日朝からナイアガラに行く予定だったらしいですが、ちょっと難しそう。それでも明るい笑顔で、「明日午前4時にトロント市内のホテルのベルさん達が一斉に起こされて忙しくなるというのも、想像すると楽しいねぇ…」

どこにも行けないという人のために、寝台車はトロント到着後も朝まで解放して、さ らに食事も朝はコンチネンタル・ブレックファストを出すそうです。こういうときに寝台車だと助かるよね。すっかり顔馴染みの人が増えたので、声をかけあったりして、こういう体験も楽しもうとします。そこがゆったりした観光旅行のいいところです。


午後8時半。
本当ならもうまもなくトロント到着の時刻ですが、目的地ははるか400キロ先です。列車は2時間近くかけて CAPREOL ケイプリオルまで戻ってきました。バック走行で走るため時刻40キロくらいでゆっくりと戻ってきたのです。ここから貨物線に入り込んで本来の線の東に回り込んで、平行して走っている別会社路線を降りていき、本来の路線に入る予定です。貨物線を走るためか、時速30キロくらいのきわめて低速で走っています。ちょうど自転車で走っている感じです。このままの速度だと10時間くらいかかっちゃうよ?????まったくどうなること やら。

そろそろ日も暮れ、空も東側は暗くなってきました。思わぬ旅のおまけに喜んでいい やら悲しんでいいやら。願わくば日が暮れず、眺めを楽しむことができたら文句なかったんだけれどね。


午後10時。
列車は高速で走っています。あたりはもうすっかり暗くなり、何処を走っているのか、かいもく見当もつきません。
ラジオではインドの列車事故を伝えています。死者が200人を越えたようです。ひ たすらカナダの鉄道の安全を祈ります。

午前3時。
ベッドで4時間ほど眠ってました。気がつくと、窓の外には時折高速道路と民家が見 えます。どうやらもう森林は抜けたようです。しばらくすると遥か彼方の空が明るいことに気づきます。トロントだなぁ…と思います。

空には今日も満天の星。昨日、一昨日と北の方向が見えていたので北斗七星と実に久しぶりの天の川が見えましたが、今日は東の方向が窓に映っているようで、見慣れた星座がありません。

バリー Barrie という駅で停車します。アテンダントがやってきて「あと1時間5分 だよ」と声をかけて行きます。

ラジオを付けてみると CHAY チェイ93.1というのが入ってきました。「誰もが納 得する放送局、チェイ!」とアナウンサーは言います。どんなんじゃい!と思いますが、いわゆるクラッシックロックやバラードをかける局でありました。懐かしいクロストファー・クロスのニューヨーク・シティ・セレナーデが流れてきます。個室の電気を消すと窓の外には Lake Simcoe が広がります。ナトリウムランプに照らされたヨットハーバーをながめながら耳を傾けます。

もう30分もすれば80時間かかった旅も終わりです。


午前5時。あっけなくトロントに到着しました。アナウンスもなにもなし。静かに列車はトロントのユニオン駅のホームに滑り込みました。

ホームにはスーパーおばあちゃん(ていう言い方が昔あったよね、それがピッタリく るんだなぁ)、アンの娘さん夫婦が迎えに来てくれています。彼らは午後9時に駅に来たものの、列車が遅れることがわかると一旦ホテルに帰って眠ったそうです。いやはや迎えも大変だよね。明日、ドライブしてニューヨーク州まで帰るそうです。一緒にコーヒーをすすり、お別れしました。

ホテル到着は、5時半でした。ホテルは駅からワンブロック。フロントに行ったら「チェックアウトですね」と言われ てしまいました。それはそうでしょうね。

06:00 EDT
Aug. 21, 1995



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